本地垂迹説とは

公開日: 01.10.2021

ちなみに、鎌倉時代に入ると 反本地垂迹説 という考え方まで登場します。これは「神は仏の化身である」の反対で「仏は神の化身である」という考え方です。. しかし7世紀後半の天武期での 天皇 中心の国家体制整備に伴い、天皇の氏神であった 天照大神 を頂点として、国造りに重用された神々が民族神へと高められた。仏教側もその神々に敬意を表して格付けを上げ、仏の説いた法を味わって仏法を守護する 護法善神 の仲間という解釈により、奈良時代の末期から平安時代にわたり、神に菩薩号を付すに至った [1] 。.

真縁上人は、愛宕護山の月輪寺に住せり。常に誓願を起てて曰く、法花経の文に常在霊鷲山、及余諸住所といふ。日本国はあに入らざる余の所ならむや。然らば面 まのあた りに生身の仏を見奉らむといへり。この願を充さむがために、専らに法花経を誦せり。字ごとに礼拝を修すること参度。閼伽を供ふること一前なり。やや多年を歴て漸くに一部を尽せり。敢へて示すところなし。第八巻の内題に到りて、行業已に満てり。その夜の夢に曰く、石清水に参るべし、云々といふ。かの宮に毎朝に御殿の戸を開く者を宮主と謂ふ。忽ちに客僧の御帳の前にあるを見て、大きに驚きて追却せむとを欲す。この間に石清水別当使を遣して、宮主の僧に告げて曰く、神殿の中に定めて客僧あらむ。左右 とにかく にすべからず。これ今夜の夢の中に霊託を蒙るが故なり、云々といへり。ここに知りぬ、生身の仏は、即ちこれ八幡大菩薩なることを。その本覚を謂はば、西方無量寿如来なり。真縁已に生身の仏を見奉れり。あに往生の人にあらずや。.

文献上の初見は、「日本三代実録」の 貞観元年 八月二十八日辛亥条、「 依十禅師伝灯大法師位恵亮表請。始置延暦寺年分度者二人。其一人為賀茂神。可試大安楽経。加試法華経金光明経。一人為春日神。可試維摩詰所説経。加試法華経金光明経。表曰。恵亮言。皇覚導物。且実且権。大士垂迹。或王或神。」になるようだ。. こんな感じで神様と仏様の関係が曖昧だったのが奈良時代後期。そして、それを象徴するのが 道鏡(どうきょう) という僧侶の存在です。.

メインページ コミュニティ・ポータル 最近の出来事 新しいページ 最近の更新 おまかせ表示 練習用ページ アップロード ウィキメディア・コモンズ. 前のページ                              次のページ. 子守の御前 熊野の子守宮か は、鹿島にては奥の御前と現れ、春日にては五所の宮 不明 と示し給う。天照大神は日天子、観音の垂迹、素戔嗚尊 すさのおのみこと は月天子、勢至の垂迹なり。この二菩薩は、弥陀如来の悲智の二門なれば、この両社もはら弥陀如来の分身なり。この両社すでに然なり。以下の諸社、また弥陀の善巧方便に非ずということあるべからず。.

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おおよそこの権現は、極位の如来、地上の菩薩なり。就中 なかんずく に証誠殿は、直ちに弥陀の垂迹にてましますが故に、殊に日本第一の霊社と崇められ給う。娑婆界の利益、无量劫をおくり弛 たゆ むことなく、我が朝の化縁、既に数千年に及びて、益々盛んなり。.
  • 主眼とするところは、「諸神の本懐を明かして、仏法を行じ、念仏を修すべき思いを知らしめんと思う」 同書冒頭 、即ち諸国の各社に祀られる神の本意は、衆生をして念仏に帰入させることにあるというものだが、文中、鹿島、熊野、三島、箱根、白山、熱田等、主だった神社の本地仏が記述されていて、興味深い内容だ。特に熊野十二所権現に関しては、「 殊に日本第一の霊社と崇められ給う」として開創譚を引用しての長文の解説となっており、当時、熊野信仰がいかに喧伝されていたかをうかがえる史料となっている。 《 本文内の   は筆者が記す。また適宜改行した 》.
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本地垂迹説 のカテゴリ情報

次に五所の王子 熊野十二所権現の内の五神で、若宮 [ 若一王子 銀魂月詠かわいい 、禅児宮、聖宮、児宮、子守宮を五所王子という というは、若王子 若宮・若一王子 は十一面観音なり。普賢三昧の力を以て、六道の衆生を化し、弥陀の大悲を司 つかさど りて、三有 三界 の衆類を救い給う。.

逵日出典氏の教示 1 によると、本地垂迹説は一挙にまとまって現れたものではなく、先に垂迹思想が現れているという。. 宗教 カテゴリ プロジェクト ポータル. 神の 正体 とされる仏を 本地仏 という。神々に付会される仏は、宗派、信仰、寺院、神社によって異なる。.

治承 3 年 4 月、沙門観海は祇園三所権現 京都・八坂神社 の金銅三尺の仏菩薩像三体造立と、三尺の円鏡三面作成を発願。施主を募り助成を呼びかけた勧進文が平安後期の漢文集である「卅五文集」に載せられている。それによると、祇園三所権現の本地は薬師如来、文殊師利菩薩、十一面観音としている。. 日本人の八百万の神へ信仰は古来から行われていましたので、「仏様と神様はいつ出会うことになったのか。」という問いの答えは、 「日本に仏教がいつ伝来したのか?」 最後はストレート. インド 中国 日本 朝鮮 台湾 ベトナム チベット スリランカ ミャンマー タイ 中東 ヨーロッパ アフリカ 中央アメリカ.

  • こんな感じで神様と仏様の関係が曖昧だったのが奈良時代後期。そして、それを象徴するのが 道鏡(どうきょう) という僧侶の存在です。.
  • 仏ののたまはく、〈かくのごとし、大梵、なんぢが所説のごとし〉と。そのときに世尊、重ねてこの義を明かさんと欲しめして、偈を説きてのたまはく、〈世間に示現するがゆゑに、導師、梵王に問はまく、《この四天下において、たれか護持し養育せん》と。かくのごとき天師梵、《諸天王を首として、兜率・他化天・化楽・須夜摩、よくかくのごとき四天下を、護持し養育せしむ。四王および眷属、またまたよく護持せしむ。二十八宿等、および十二辰・十二天童女、四天下を護持せしむ》と。その所生の処に随ひて、竜・鬼・羅刹等、他の教を受けずは、かしこにおいて還つて護をなさしむ。天神等差別して、願はくは仏分布せしめたまへ。衆生を憐愍せんがゆゑに、正法の灯を熾然ならしむ〉と。 『大集経』巻第六月蔵分「諸天王護持品」第九 より (『顕浄土真実教行証文類』化身土文類六(末)外教釈・引文90 に引用). 質問: 本地垂迹説について、浄土真宗はどのようにとらえたらよいのでしょうか。 (御伝鈔をそのまま読むと肯定することになるようなきがします).

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― 仏と神の関係を明かにする ―

ログイン ログアウト 編集. これ 鹿島、香取、熊野、二所三島、日吉、白山等の諸国の各社は 皆、その本地をたずぬれば、極果の如来、深位の大士なり。興隆仏法の本誓にもよおされ、利益衆生の悲願に住して、仮に神明の形を現じ給えり。寂光の秋の月、光を秋津島の波に宿し、報身の春の花、匂いを豊葦原の風に施す。内証は皆、自性の法身、本地は悉く報身の全躰なり。その本地、様々に異なれども、皆弥陀一仏の知恵に収まらずということなし。かるが故に、弥陀に帰し奉れば、諸々の仏菩薩に帰し奉る理 ことわり あり。この理あるが故に、その垂迹たる神明には、別して仕えまつらねども、自ずから是に帰する道理あるなり。.

今回は、仏と神の信仰の1つである 本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ) について紹介したいと思います。 本地垂迹説とは簡単に言ってしまえば、 「日本の神々と大陸から伝来した仏教を融合させた日本オリジナルの宗教信仰法」の1つ です。 本地垂迹説とは神と仏の融合である・・・、なんだかわかるようなわからないようなって感じですよね。表現が抽象的すぎて、具体的に何がどうなっているのかどうもわかりにくい。 というわけで、「本地垂迹説とはなんぞや?」っていうのを紹介してみようと思います。 スポンサーリンク.

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仏と神、どっちが上?

中の御前 新宮は中宮、中御前ともいう は薬師如来なり。十二无上の誓願 薬師如来が過去世に立てた十二の大願 を起して、流転の群萌 一切衆生 を助け、出離解脱の良薬を与えて、无明 むみょう の重病を癒やす。. 応和 2 レイヴィス続編攻略 の奥書を持つ「大安寺塔中院建立縁起」からは、八幡神の本地を釈迦三尊とする考えが、当時の宇佐地方では成立していたものと理解された。それから 年後、大江匡房 ~ が編纂した「続本朝往生伝十六・真縁上人伝」 2 では、生身の仏は八幡神であり、その本覚は「西方無量寿如来なり」 阿弥陀如来の別名が無量寿如来 とし、八幡神の本地は阿弥陀如来とする考えが定着してきたことを示している。. しかし7世紀後半の天武期での 天皇 中心の国家体制整備に伴い、天皇の氏神であった 天照大神 を頂点として、国造りに重用された神々が民族神へと高められた。仏教側もその神々に敬意を表して格付けを上げ、仏の説いた法を味わって仏法を守護する 護法善神 の仲間という解釈により、奈良時代の末期から平安時代にわたり、神に菩薩号を付すに至った [1] 。.

平清盛が高野山に大塔を建てるべく自らも材木を持ち作業していた時、香染の僧が現れ、「日本国の大日如来は、伊勢大神宮と安芸の厳島なり。大神宮はあまり幽玄なり。汝適 たまたま 国司と為る。早く厳島に奉仕すべし。」と告げられた。清盛が僧の名を問うと「奥院の阿闍梨となむ申す 空海を意味する 」と答え、消え失せたという 第五神社仏寺・三十三 。. 聖武天皇は、「仏教を信じれば、守護神が国を守ってくれる!!」という仏教の教えを深く信仰し、政治に仏教の教えを多く取り入れました。奈良の大仏も、 「こんなでっかい大仏造れば、きっとその信仰心も認められて国は守護神で守られるやろ!!」 という聖武天皇の想いで造られたものです。. 弘安 2 年 2 月 2 日「日眼女釈迦仏供養事」 真蹟曽存.

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本地垂迹説 の前後の言葉

続いては、「大安寺塔中院建立縁起」 応和二年・ の奥書で、それによると、大安寺の僧・行教 生没年不詳 は入唐帰朝の際、豊前国の宇佐八幡宮に一夏九旬の間参籠する。参籠中、衣の袖上に釈迦三尊が顕現しており、これは八幡神の本地を釈迦三尊とする考えが成立していたことを意味するものとされる。.

八幡三所 八幡宮の祭神・八幡大菩薩、大帯姫命、比売大神 は、なかは八幡大菩薩、阿弥陀如来、左はおおたらしひめ 大帯姫命 、本地観音なり。右はひめ大神 バックナンバードラムイケメン 、大勢至菩薩なり。若宮四所 八幡宮の摂社。若宮、若姫、宇礼、久礼 というは、本地十一面観音なり。若姫は勢至菩薩なり。宇礼は文殊、必礼は普賢なり。是れ皆、応神天皇の御子なり。次に竹氏の大臣 八幡宮の摂社・武内宿禰を祀る は、本地阿弥陀如来、是れ同じき天皇の臣下なり。へついどの 八幡宮の摂社 は普賢菩薩、同じき天皇の姨母 いも なり。. また自余の一切の仏・菩薩ならびに諸神等をもわが信ぜぬばかりなり。あながちにこれをかろしむべからず。これまことに 弥陀一仏の功徳のうちに、みな一切の諸神はこもれり とおもふべきものなり。 『御文章』二帖2 より.

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  1. Yogi:

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